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千葉地方裁判所 昭和52年(ワ)174号 判決

原告 内田定雄

同 土屋大幸

同 土屋正夫

同 松島キヨ

右四名訴訟代理人弁護士 高橋勲

同訴訟復代理人弁護士 白井幸男

同 渡会久実

被告 辺見寛之

右訴訟代理人弁護士 尾崎昭夫

同 大室俊三

主文

被告は原告内田定雄に対し、千葉市弁天四丁目四三〇番地宅地七八六・八九平方メートルの上に建築しようとしている鉄筋コンクリート造三階建病院兼看護婦宿舎の三階部分の建築工事をしてはならない。

原告土屋大幸、同土屋正夫、同松島キヨの請求を棄却する。

訴訟費用は原告内田定雄と被告との間では全部被告の負担とし、原告土屋大幸、同土屋正夫、同松島キヨと被告との間では被告について生じた費用を二分し、その一を原告土屋大幸、同土屋正夫、同松島キヨ、その余を各自の各負担とする。

事実

第一当事者の主張

一  請求の趣旨

1  被告は千葉市弁天四丁目四三〇番地宅地七八六・八九平方メートルの上に建築しようとしている鉄筋コンクリート造三階建病院兼看護婦宿舎の三階部分の工事をしてはならない。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告内田定雄は千葉市弁天四丁目五番一四号に家屋(以下「内田宅」という。)を所有しその家族と共に一八年以前から居住している。

(二) 原告土屋大幸、同土屋正夫、同松島キヨはいずれも同市弁天四丁目五番二二号に存する大木光蔵所有の賃貸住宅「ときわ荘」の西南隅の一階及び二階を賃借してその家族と共に一二年以前から居住している。

なお、原告らの各々の家屋の位置は、別紙第一図面(付近見取図)のとおりである。

(三) 被告は、原告らの南隣で産婦人科医院を開業している者であるが、その所有にかかる千葉市弁天四三〇番地の土地七八六・八九平方メートル(以下「本件土地」という。)に医院及び看護婦宿舎と称して鉄筋コンクリート造三階建(一部塔屋四階)建物(建築面積二三七・〇〇平方メートル、延面積八三八・四〇平方メートル、建物の高さ一〇・五メートル、昭和四八年九月一三日千葉市建築主事伊藤速夫の確認にかかる建築確認申請書に基づく建築建物、以下「本件建物」という。)の建設を行なうこととし、訴外新日本建設株式会社を施行者として昭和四八年九月二二日頃から基礎コンクリート工事に着工した。

2  本件建物建設による原告らの生活侵害

本件建物が計画どおり建築されると、原告らの家屋は日照、通風、採光、眺望、プライバシー等の生活侵害を受け、その程度は受忍の限度を越えるものである。

(一) 原告内田の日照採光被害について

(1) 被害の程度

本件建物が計画通り建築完成された場合の内田宅一階居室の冬至における午前九時から午後三時までの間の日照時間は次の通りである。

測定点 日照時間

A1点(一階中央居室) 五九分

B1点(一階西側居室) 一時間三三分

C1点(一階東側居室) 二八分

ただし、右A1、B1、C1各点は内田宅地盤面(本件建物地盤面よりも二〇センチメートル高いものとする)であり、かつ内田宅南側側面から一・五メートル屋内に入った地点である(これは各部屋の概ね中心部分にあたる。なお、別紙第二図面参照。)。

なお、右において測定する日照時間帯を午前九時から午後三時までの間としたのは、日照を単に採光の面だけでなく暖房や衛生面など太陽エネルギーとの関連を考慮したことに基づく(太陽エネルギーは冬期では真太陽時を頂点とし、日出後及び日没前の数時間は著しく低下する)。また、千葉市の「日照等に関する建築指導要綱」においても午前九時から午後三時までを日照保護の基準としている。

付言すれば、本件建物によって内田宅の午前八時台の日照はゼロとなり、午後三時台においても概ねゼロである。

ところで、内田宅は現在ときわ荘並びに内田所有の建物一棟(別紙付近見取図記載の「岩井宅」の表示建物。以下単に「岩井宅」という。)による複合日影を受けているが、これら建物の存在による内田宅の日照時間はA1点四時間五九分、B1点三時間五四分、C1点五時間一九分であって日常生活上何ら差支えない。しかるに本件建物が三階建で完成して右ときわ荘並びに岩井宅の日影と複合すると内田宅の日照時間はA1点〇、B1点〇、C1点一二分となる。

以上の日照被害を表であらわすとつぎのとおりである。

測定点

本件建物なき場合

本件建物二階建

本件建物三階建

ときわ荘、岩井宅複合

本件建物単独

複合

本件建物単独

複合

A1点

(居間)

四時間五九分

四時間三七分

三時間三一分

五九分

〇分

B1点

(寝室)

三時間五四分

四時間三七分

二時間二六分

一時間三三分

〇分

C1点

(食堂)

五時間一九分

四時間三七分

四時間三一分

二八分

一二分

(2) 地域状況

本件土地の一般的地域状況は、昭和四八年五月二五日に住居地域に指定され、さらに翌四九年六月一日千葉市告示第三八号によって第一種高度地区の指定を受けている。右第一種高度地区指定によれば、高さ一〇メートルの建物を建築する場合には、北側敷地境界線から四メートル以上離れなければならないことになるが、本件建物は本体部分で三メートル、階段部分は二・四メートルしか境界線から離れていない。そしてこの第一種高度地区指定に基づく、いわゆる北側斜線制限によれば本件建物の三階部分は一部右制限に違反することとなる。

次に、本件土地の具体的地域状況は、次のとおりである。本件土地及び原告らの居住地は、国鉄西千葉駅の北東約一キロメートルの地点に位置し、近くに千葉公園、県立千葉東高校などをひかえ、市内でも自然環境に恵まれた文教的住宅地域の一つである。周辺は小売店舗が点在するほかは、ほとんどが平家建ないし二階建住居で占められている。三階建以上の中高層建物は、千葉東高校、千葉競輪場など数点存在するものの、いずれも極めて公共性の強い建造物であり、一般の居住、営業用建物は出光興産社員住宅を除けば皆無に等しい。

(3) 加害回避の可能性

(イ) 被告は本件建物建築の直接的な動機として、従来より医療及び居住用に使用していた建物(以下「旧建物」という。)が老朽化し、消防署から耐火性建物にかえるよう勧告を受けていたことをあげているが、被告は旧建物を全面的に改築したから、この点は既に解決している。

(ロ) 次に看護婦に対して宿舎を提供して定着化をはかるというが、いかに既婚看護婦を対象とするものとはいえ、二DK、バス、トイレ付部屋を計八室(二階、三階各四室)も備えるというのは個人経営の医院としては極めて不自然である(ちなみに昭和五四年一二月七日現在、被告方医院に勤務する看護婦、助産婦はあわせて三名である)。

(ハ) 前述のように旧建物は全面的に改築され、両建物は渡り廊下で接続されて一体をなすものとして使用されており、旧建物を本件建物と有機的、一体的な利用をはかるならば本件建物三階部分建築の必要性はほとんどない。仮にある程度の施設拡充が必要であるとしても、旧建物に法令上許容される範囲で増改築を加えることによって目的を達しうる。

(4) 被害建物の配置構造

原告内田は、定年退職後の生活を快適に過ごすため住居建築にあたって敷地内南側に広く庭をとり、建物は開口部をできる限り大きくとるなど、日照の確保に特に留意して建築した。原告内田は夫婦とも高令であり、内田は昭和五四年には心筋梗塞で倒れ、妻はリューマチの持病があり、ともに今後最も日照を必要としている。

(5) 交渉経過

原告らは、本件建物が設計どおり築造されると日照障害をはじめ種々の生活侵害を受けるところから、被告側と直接交渉を行なったほか、市の担当課長らの指導のもとに話し合いをもち、さらには日照問題等調整委員会において数度にわたり調整をうけるなど事案の円満な解決のためにできうる限りの努力をはらってきた。

ところが、被告は本件建物の必要性を強調しておきながら、原告らとの交渉を訴外須田穰に全面的に委ね、市担当者に対する抗議のために出席したほかは、ほとんど自ら交渉にあたることはなかった。また、市の指導や調整委員会の調整に一応応じる態度をとる一方で、「指導要綱」に基づく指導上問題があるとして建築確認申請の受理を留保していた市当局を相手どり、建築審査会に対し審査請求を申立て、あるいは市長に対して行政不服審査法による不服申立てを行なったりしている。これらの事実から明らかなように、被告は、原告ら周辺住民の声に一切耳を傾けようとせず、建築基準法に形式的に適合していることを理由に建築を強行しようとし、とりわけ交渉の過程で高度地区の指定計画を知り、本件建物がこれによる規制に牴触することが判明したため、その施行前に着工、完成を急ごうとしたものである。このような被告の態度は「指導要綱」に基づき、「高さ八・五メートル以上または三階以上の建築を行なう場合周辺住民の居住環境を守るように」との市の指導すら全く無視するものであって極めて不誠実というほかはない。

(二) 原告内田のその他の生活侵害について

本件建物が計画通り三階建で完成すると、建物の高さは一〇メートルを超えるため、二、三階部分及び屋上(なお、本件建物の北側部分の各部屋の窓ならびに屋上には目隠しがない。)から原告ら居宅内部は丸みえとなり、そのため常に人目を気にしての生活を余儀なくされるのであって人格権の一つであるプライバシーの権利を著しく侵害され、また本件建物は、右の高さを有するほか東西に長い建物となっているため通風に与える影響ははかりしれない。その他、眺望をさえぎられ、日々本件建物による圧迫感にさいなまれながらの生活を強いられる等の生活侵害を受けることになる。

また、原告内田方の庭は、現在の被告建物が二階の状態(本件建物の工事が二階でストップしていることは後述。)においても、ほとんど日照がないため芝生や庭木の生育が著しく困難となっている。

(三) 原告土屋大幸、同土屋正夫、同松島キヨの生活侵害について

原告土屋大幸はときわ荘の一階六号室を賃借して妻とともに居住し、原告土屋正夫、同松島キヨは二階一六号室を賃借して居住しているが、いずれも本件土地上に被告建物が築造されるまでは終日良好な日照に恵まれ、通風、採光とも良好であった。

しかるに、本件建物が計画どおり完成されると、これらの原告方における日照時間は、日出から日没まで終日ゼロとなる。しかも、右ときわ荘の原告らの各室と本件建物との間の距離が近いため、視角一五二度一六分の範囲にわたって被告の本件建物がそそりたつことになり、きわめて強い圧迫感を強いられる結果となる。本件建物が二階まで築造された今日、その生活上の被害は現実のものとなっているが、計画通り三階部分まで築造されたなら、その圧迫感、採光の悪化は一層強まるであろう(地域状況、加害行為の回避性、交渉経過は原告内田の主張と同様である)。

3  なお、原告らは被告が本件建物の建築に着工後千葉地方裁判所に対して建築続行禁止仮処分の申請を行ない(昭和四八年(ヨ)第三三五号、第三六二号)、昭和四八年一一月一〇日、本件建物につき三階部分の建築工事を禁止する旨の仮処分決定がなされた。被告は右仮処分決定に従い、本件建物の建築を二階部分までで中止したが、依然としてその計画を完全には放棄していない。

4  以上により本件建物の三階部分が建築されれば原告らは日照をはじめ採光、通風、眺望などの生活利益を享受し、プライバシーを保持する権利を著しく侵害され、その侵害の程度は原告らが受忍すべき限度をはるかに超えるものであるというべきである。

よって原告らは憲法一三条、二五条に定められた基本的人権、なかんずく生存権もしくは人格権またはこれらの権利の一内容としての環境権、日照権、さらには土地、建物の所有権ないし占有権等の物権的請求権に基づいて本件建物の三階部分の建築工事の差止めを請求する。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)(二)の事実のうち、原告らがそれぞれ主張の家屋に居住することは認めるがその余は知らない。同1(三)の事実は認める。

2  同2冒頭の主張は争う。

(一) 同2(一)(1)の事実は否認する。同(2)の事実のうち本件土地の一般的地域状況が原告主張のとおりであることは認めるが、本件建物は第一種高度地区指定の根拠となった前記告示以前に着工されており、右告示による規制の対象外である。本件土地の具体的地域状況は争う。同(3)の事実のうち、被告の本件建物建築の理由が病舎が老朽化し千葉市消防局からの改修を勧告されるに至り、かつ手狭となったのを解消すること、既婚看護婦の定着化をはかるために二DK程度の宿舎を提供することが不可欠であることにあったことは認め、その余は争う。同(4)の事実について不知。同(5)の事実のうち、被告が原告らを含む付近住民と本件建物に関し交渉したこと、昭和四八年五月三一日以降は千葉市日照問題等調整委員会の調整をうけることとなったこと、しかし結局その調整は成立するに至らなかったことは認めるがその余は争う。

(二) 同2(二)の事実のうち、本件建物が一〇メートルを超えること、本件建物の屋上並びに北側部分の各部屋の窓に目隠しが設置されていないことは認めるが、その余の主張は争う。

(三) 同2(三)は争う。

3  同3は認める。

4  同4は争う。

三  被告の主張

1  被害の程度

(一) 本件建物の概要は次の通りである。

敷地面積  七八六・八〇平方メートル

建築面積  二七三・〇〇平方メートル

延べ面積  八三八・四〇平方メートル

一階二七一・四〇平方メートル

二階二七一・四〇平方メートル

三階二六八・九〇平方メートル

屋階 二六・七〇平方メートル

用途  医院及び宿舎

構造  R・C造三階建

屋根葺材  アスファルト防水層

外壁  モルタル塗り

最高の高さ  一二・三〇メートル

(二) 原告内田宅の日照状況

本件建物が計画通り建築された場合の原告内田宅の各部屋開口面、地上四メートル線上、一階各部屋床面の中心点における日照状況は次の通りである(測定時間帯は冬至における午前八時から午後四時まで)。

(1) 各部屋開口部における日照程度

開口部 日照時間

A開口部(一階中央居室) 六時間二五分

B開口部(一階西側居室) 六時間四〇分

C開口部(一階東側居室) 五時間五分

D開口部(二階西側居室) 七時間三八分

E開口部(二階中央居室) 七時間二〇分

F開口部(二階東側居室) 七時間二八分

(2) 一階床面上における各部屋中心点の日照時間(測定点の地盤面との高低差については後述)

測定点 従前の日照時間 本件建物により生じる日影時間 完成後の日照時間

A2 三時間四五分 一時間五〇分 一時間五五分

B2 四時間四七分 一時間五四分 二時間五三分

C2 三時間五九分 一時間〇三分 二時間五六分

(3) 建築基準法五六条の二及び千葉市日影条例に準じ原告内田宅の地盤から四メートルの高さにおける日影時間は最大二時間一五分にすぎず、右条例で定める二時間三〇分を下回る。

(4) 複合日影について

内田宅の日照被害は、本件建物のほか、ときわ荘及び岩井宅によっても生じているだけでなく、日照基準点を内田宅居室内にとるかぎり同家屋の外壁、間仕切り等の構造自体からも生じている(乙第五号証)。そして本件建物による日影時間は前記の通り最大一時間五四分にすぎないから、本件建物が複合日影に及ぼす影響は少ない。

(5) 日照状況の測定点について

原告内田の主張する日照被害の測定点は、内田宅一階各室のほぼ中心部分に対応する内田宅床下地盤面とされている。しかしながら日照被害の程度を判断するには右は適切でなく、建物開口部あるいは各室床面上を測定点とすべきである。

さらに内田宅地盤面と本件建物地盤面とは現実には八〇センチメートル以上の高低差がある(本件建物地盤面の方が低い)にかかわらず、原告主張測定点は右地盤面の高低差を全く考慮にいれないか若しくは二〇センチメートルとして算定されていること、また内田宅の構造(外壁、間仕切り)自体から生ずる日影を無視している点からも、日照被害状況の主張は不正確といわなければならない。

なお、被告の主張するA2、B2、C2点は本件建物地盤面よりも一・六五メートル高い位置にあるものとして測定している(乙第五号証)。

(三) 原告土屋大幸、同土屋正夫、同松島キヨの日照状況等

ときわ荘に居住する三名の原告の日照被害が大きいのは、ときわ荘自体が南側隣接地境界線に近接しすぎて建築されているうえ、法の予定する開口部を設置していないことに起因している。このことは原告ら請求の通りに本件建物を二階建としたところで右原告らの「日照被害」は全く改善されないことからも明らかである。右原告らの被害は、その居住するときわ荘が住居として当然有すべき構造、立地条件を具備していないために生じているのであるから、本件建物建築禁止を請求しえないことは明らかである。

2  地域性

本件土地及び原告ら居住地は近隣商業地域に隣接する住居地域であって、住居の中高層化が予定され、現に高層化されつつある地域である。そして建築基準法五六条の二別表第三からうかがわれるように、本件地域は地上四メートルの線すなわち内田宅建物二階開口部のほぼ中心において五・五時間程度の日照を確保せんとする地域であって、前記の通り本件建物の関係では原告内田宅においては、五時間四五分以上の日照が確保されている。これらの点を考慮すれば、本件建物は地域性の点からいっても本件地域に相応の建物というべきである。

3  交渉経過等

被告は昭和四七年夏ころ訴外須田穰建築士に建築設計を依頼し、同人は同四八年二月ころ設計を完了した。そして同年四月千葉市建築主事に建築確認を申請した。ところが、原告ら一部の付近住民が建築に反対したため、確認申請を受けた千葉市は建築確認を留保し、原告らと被告との間の調整を図った。しかし、結局調整はつかず、被告は同年八月ころやむなく当初の確認申請を取り下げ、設計を縮少(当初より建物の西側を二・五メートル短縮し、延面積を二二坪縮少、建物の位置を敷地南側いっぱいに移す設計変更、地盤を道路面より約三〇センチメートル掘り下げて建築することで高度を下げる、屋上の周囲に設置を予定していたパラペットコンクリート壁をやめ鉄製フェンスとする。この設計縮少をしたのが、被告主張1(一)記載の本件建物である。)したうえであらためて同年八月九日確認申請をした。右申請に対して同年九月一三日確認がなされ、被告はその後まもなく本件建物の建築に着工した。これに対して原告らは建築工事禁止の仮処分を千葉地方裁判所に申請し、千葉地方裁判所は昭和四八年一一月一〇日、被告に対し本件建物の三階部分の工事禁止の仮処分決定をした。そのため、被告はやむなく本件建物の三階部分の工事を一時中断し、一、二階部分の工事のみを終了させて今日に至っている。

4  本件建物の公法的規制への適合性

本件建物は昭和四八年九月に着工されているところ、建ぺい率(規制値六〇パーセント)、容積率(規制値二〇〇パーセント)とも許容範囲内である。また本件土地付近を第一種高度地区とする内容の高度地区の指定等に関する決定告示は昭和四九年六月一日以降効力を生じたものであるから、それ以前に建築確認、着工された本件建物は右告示の規制に服すものではない。

四  被告の主張に対する原告らの反論

1  日照状況の測定点について

内田宅は、鉄筋コンクリート造りであっていわゆる床下というべきものがなく、内田宅地盤から一五センチメートルの高さのところに床があるから、本件建物の地盤面と内田宅一階各室床面上との高低差は、被告主張よりも少ないものである。また内田宅地盤と本件建物地盤との高低差が八〇センチメートルある旨の被告の主張は否認する(八〇センチメートルよりは少ない)。

2  公法的規制の適合性について

被告は建築基準法五六条の二の関係で本件建物による日照被害の程度は規制の範囲内であると主張するが、算定方法が次の三点で誤っている。

(一) 法の規制する水平面は本件土地を起点として定められるべきであるのに、被告は内田宅地盤を基準としているため両土地間の高低差の分だけ高くなりその分だけ日影時間が短かくなっている。

(二) 法は敷地境界線からの水平距離が一〇メートルを超えるすべての部分について一定時間以上の日影を生じさせてはならないとしている(建築基準法五六条の二第一項)が、被告は内田宅が敷地境界線から一〇・八メートル離れているのに内田宅南側立面で算定しているにすぎず、より日影時間が長くなる一〇メートルを超え一〇・八メートル未満の水平面については全く無視している。

(三) 法は規制水平面におけるすべての部分において一定数以上の「日影となる部分を生じさせることのないものとしなければならない」のに内田宅開口部の両端にあたる六点を便宜的に取り上げ算定しているにすぎない。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1(一)の事実のうち原告内田が千葉市弁天四丁目五番一四号の内田宅にその家族と共に居住していることは当事者間に争いがなく、原告内田が右家屋を所有し昭和三六年以降居住していることは《証拠省略》により認められる。

同1(二)の事実のうち、居住年数を除いたその余の事実ならびに同(三)の事実は当事者間に争いがない(居住年数については、後記のとおり本訴請求の当否と関連しないから判断しない)。

二  そこで本件建物建築による原告内田の生活利益の侵害が受忍の限度を超えているか否かについて検討する。

1  本件建物の概要

前記一認定の事実並びに《証拠省略》を総合すれば、被告は昭和四八年四月、第一回目の確認申請を提出したが、近隣者との間の調整がつかず一旦右申請を撤回しあらためて同年八月第二回目の建築確認申請をし、結局同年九月一三日本件建物の建築確認を受けたが、その概要は次のとおりであることが認められる。

敷地面積    七八六・八平方メートル

建築面積    二七三・〇平方メートル

延べ面積    八三八・四平方メートル

一階 二七一・四平方メートル

二階 二七一・四平方メートル

三階 二六八・九平方メートル

屋階  二六・七平方メートル

用途      医院(病室)及び宿舎

構造      R・C造三階建

屋根葺材    アスファルト防水層

外壁      モルタル塗り

最高の高さ   一二・三メートル(ただし《証拠省略》では一二・二三メートルとされている)

屋階(塔屋)を除く高さ 九・七メートル

東西の長さ     三五・二四メートル

南北の長さ(最大)  九・五六メートル

また、本件建物は本体部分で三メートル、階段部分では二・四メートルしか北側境界線から離れていないことは当事者間に争いがない。

2  内田宅建物の概要

《証拠省略》によれば内田宅建物の配置構造等は次のとおりである。

原告内田宅の建物の位置は、別紙付近見取図のとおり、敷地(面積は約一五〇坪)内の南側に広く庭をとり(南側隣地である本件土地との境界線と内田宅建物との距離は一〇・八メートルある)、建物南側開口部を大きくとり(一、二階とも開口部が各三つあり、いずれもガラス戸となっている)、南からの日照をより多く享受しうるよう設計されている。

3  地域性

本件土地の一般的地域状況として、昭和四八年五月二五日に千葉市によって都市計画法による住居地域に指定され、さらに同四九年六月一日千葉市告示第三八号によって第一種高度地区の指定を受けていることは当事者間に争いがない。

なお、《証拠省略》によれば、国鉄西千葉駅から県立千葉東高等学校正面の前(被告病院に入る道の角)までの主要道路南側地域は若干の巾だけ近隣商業地域であること、右は東高校沿いの主要道路沿いの南側地域が巾細くかつ長く近隣商業地域とされているにとどまり、その(主要道路沿いの近隣商業地域の)南側(本件土地側)および北側は住居地域がそれぞれ広がっていることが認められる。

次に、具体的地域状況について検討する。《証拠省略》を総合すると、次のとおり認められる。すなわち、本件土地及び原告らの居住地は国鉄西千葉駅からほぼ東約一キロメートルの地点に位置し、千葉公園、千葉県立千葉東高等学校、千葉商業高等学校、護国神社、千葉競輪場に近く、小規模な小売店舗が点在するほか平家建または二階建の建物が多くを占める比較的閑静な住宅地域を形成している。近隣における高層建物は千葉競輪場、千葉東高校などの公共性の強い建物のほかは出光興産社員住宅がある程度である。以上のとおり認められ、さらに本件土地並びに原告ら居住地域が中・高層化が予定され現に高層化されつつある地域であるとまでは認めるに足りない。《証拠判断省略》

4  本件建物の公法的規制への適合性

《証拠省略》によれば、本件土地上の建物の建ぺい率は六〇パーセント、容積率は二〇〇パーセントであるところ本件建物が計画どおり建築されたときの建ぺい率は三四・六パーセント、容積率は一〇六・五パーセントであって、それぞれの規制値である六〇パーセント、二〇〇パーセントの許容範囲内であることが認められる。

ところで、《証拠省略》によれば、前記第一種高度地区の高度規制(以下「本件高度制限」ということがある。)によると、高さ一〇メートルの建物を建てるには北側隣地境界から四メートル離れなければならず、その建物の位置も北側境界線から四メートルまでは勾配一対一・二五の斜線の内側に、四メートル以上離れているときは勾配一対〇・六の斜線の内側に建てなければならないとされている(その結果、第一種高度地区においては、第一種住居専用地域とほぼ同じ日照が確保できるようはかられている)。

ところで、本件建物は、計画どおり建築されると前記認定のとおり北側境界線から、本体部分で三メートル、階段部分では二・四メートルしか離れておらず、高さは一二・三メートルとされているのであるから、本来右高度制限に牴触することとなる。もっとも、前記認定のとおり右高度指定は昭和四九年六月一日千葉市告示第三八号によって同日以降効力を生じたものであるところ、本件建物はそれに先立つ同四八年九月一三日に千葉市建築主事の確認を得て同月二二日頃には着工されているから、形式的にいえば、前記高度地区の高度規制には服さないといえる。しかしながら、《証拠省略》によれば右高度指定は、告示に先立つ昭和四八年九月一日から一四日までその素案(右素案においても本件土地は第一種高度地区に含まれている)を縦覧に供しており、右以前においても後記のとおり市関係者をまじえて原・被告間では日照問題の交渉を継続していたのであるから、被告の本件建物の建築確認申請並びに着工は、右高度地区指定をまぬがれるために急遽行なわれたものと推測される。かかる場合、公法的規制の上では形式的に違法とはいえないとしても、本来右規制によって確保しようとした日照は、もともと公法上なんら規制がなかったときにも私人に保護された利益を公法上の面からも可能な限り保証しようとしたものであって、公法的規制によってはじめて発生した法的利益ではないのであり、このような日照は、特段の事情のない一般の住宅地域においてはむしろ私法上最低限度確保されることが当然期待さるべきものといえる。従って現に公法的規制が生じている事実は私法上の受忍限度を考えるにあたっては、特段の事情の認められない本件については、その最低限の要求と認めるのが相当である。従って、この点に関する限り、本件建物は少なくとも前記高度地区指定の制限を超える限度では日照阻害の受忍限度を超える被害を原告内田に与えるものというべきである。

5  原告内田の日照等の被害の程度について

(一)  《証拠省略》によれば以下のとおり認められる。

(1) 本件建物が計画通り建築された場合(塔屋部分も含めて高さ一二・三メートル)の内田宅一階各居室のA1、B1、C1点の冬至における午前九時から午後三時までの間の日照時間は次の通りである。

測定点 日照時間

A1点(一階中央居室) 五九分

B1点(一階西側居室) 一時間三三分

C1点(一階東側居室) 二八分

ただし、右各点は内田宅地盤面(本件建物地盤面よりも二〇センチメートル高い地点)であり、かつ内田宅南側側面から一・五メートル屋内に入った地点で、これは各室の概ね中心部分にあたる(甲第六号証、第七号証、第一一号証、のA、B、C点が右に対応する)。

(2) ところで、内田宅は従前から岩井宅(《証拠省略》では「山本宅」)、ときわ荘からの日照阻害をうけており、これらの影響による内田宅の日照時間は次の通りである(いずれも午前九時から午後三時までの間六時間)。

岩井宅の存在による場合は、A1点四時間五四分、B1点三時間四九分、C1点五時間四四分、ときわ荘の存在による場合は、A1点六時間、B1点六時間、C1点五時間二五分、岩井宅、ときわ荘の複合による場合は、A1点四時間五九分、B1点三時間五四分、C1点五時間一九分、となる。

次に、本件建物とときわ荘との日影が複合した場合は、A1点五九分、B1点一時間三三分、C1点二三分、となる。

(3) ところが、右岩井宅、ときわ荘の日影に加えて本件建物が計画通り建築された場合の三者の日影が複合した場合には、A1〇分、B1点〇分、C1点一二分、となる。

(4) なお、本件建物が現在建築されているままの二階とした場合の内田宅の日照につき本件建物の存在そのものの場合は、A1、B1、C1いずれも四時間三七分(ただし塔屋の部分の影響による各点の差は省略)、ときわ荘の存在そのものの場合はA1、B1点は六時間、C1点五時間二五分、岩井宅の存在そのものの場合はA1点四時間五四分、B1点三時間四九分、C1点五時間四四分となる。そして、本件建物とときわ荘との複合の場合は本件建物のみの場合と同様であり、ときわ荘と岩井宅の複合の場合はA1点四時間五九分、B1点三時間五四分、C1点五時間一九分であるが、本件建物、ときわ荘、岩井宅の複合の場合にはA1点三時間三一分、B1点二時間二六分、C1点四時間三一分となる。

(二)  他方、成立に争いのない乙第五号証によれば本件建物が計画通り建築された場合の内田宅の冬至における日照被害は次の通りである。

(1) 基準点をA1~C1点(右各点は平面上は前記A1~C1点に対応するが、立面上はA1~C1点が本件建物地盤面より二〇センチメートル高い地点であるのに対し、A2~C2点は、本件建物の地盤面が内田宅一階床面より一・六五メートル低いものとしたところから、内田宅の地盤面が本件建物の地盤面より一一〇センチメートル高いものとし、さらに内田宅一階床面上のA2~C2点は内田宅地盤面よりも五五センチメートル高いものとされているので、結局A2~C2点はA1~C1点よりも一・四五メートル高い地点となる)とする内田宅一階床面上における各部屋中心点の日照時間はA2点(乙第五号証でいうA点)二時間五三分、B2点一時間五五分、C2点二時間五六分となる(ただし、右日照時間は午前八時から午後四時までの間のもので、かつ内田宅建物の構造自体や岩井宅並びにときわ荘による日影時間を控除したうえの従前の日照時間からさらに本件建物による日照阻害を生じる時間を控除したのちの日照時間である。乙第五号証からは複合日影を考慮せずに、本件建物の存在そのものによる日照阻害を導き出すことはできない。また前記日照時間は、複合日影を前提としての午前九時から午後三時までの日照時間とも一致している)。

なお、内田宅建物の構造自体や岩井宅並びにときわ荘の複合日影を考慮した内田宅の従前の日照時間はA2点四時間四七分、B2点三時間四五分、C2点三時間五九分である。

(2) 次に基準点をA2~C2点よりも五五センチメートル低い地点(以下「A3~C3点」という。これらはA1~C1点よりも〇・九メートル高い地点となる。)における日照時間はA3点一時間二九分、B3点一時間一四分、C3点二時間一七分となる(複合日影の関係等すべてA2~C2点と同様である)。

(三)  次に成立に争いのない乙第三、四号証によれば内田宅の一、二階南側各開口部における本件建物そのものの日照阻害による日照時間(午前八時から午後四時の)は次のとおりである(ただし、測定にあたっては内田宅地盤面は本件建物地盤面よりも四五~八〇センチメートル高いものとし、二階開口部については内田宅地盤面から四メートルの高さの地点を基準とする)。

(1) 一階中央居室(乙第三号証では「1階開口部」と記載されているが、前記A1~A3点との対応関係を明らかにするため、「A開口部」という)において日脱(日照)が全くないのは一時間三五分であるから、日照時間は六時間二五分となる。ただし、右時間は証人須田穰の証言及び乙第三号証の「1階開口部日照状態図」から明らかなように、A開口部に少しでも日照があれば日照時間内として算定されている。右図で開口部の図心が日影となる場合は日影時間と扱うものとすれば、午前八時から一一時まで、午後〇時一七分から二時四三分までは日影時間として算定することになり日影時間は合計五時間一六分(従って日照時間は二時間四四分)となる。

(2) 一階西側居室(乙第三号証では「1階開口部」と記載されているが、前同様「B開口部」という)における日影時間は一時間二〇分となる。しかしこれも(1)同様開口部の図心で算出すれば午前八時から一一時まで、一一時三三分から一二時一五分までは日影となるから、B開口部の日影時間は合計三時間四二分(従って日照時間は四時間一八分)となる。

(3) 一階東側居室(C開口部)における日影時間は二時間五五分とされているが、開口部の図心で算出すれば午前八時から一一時まで、一二時五五分から午後三時二〇分までは日影となるから、C開口部の日影時間は合計五時間二五分(従って日照時間は二時間三五分)となる。

(4) 二階西側居室(D開口部)において全く日照を欠く時間は三二分(従って日照時間は七時間二八分)とされているが、乙第四号証附図1「2階開口部日照状態図」によれば午前八時三二分から開口部西側より徐々に日脱を生じ午前九時になってD開口部全面に日照をうけることとなるから、D開口部図心(ただし、右図心の高さは本件建物地盤面から約五メートルの地点であることが窺われる)における日影は午前八時三二分から午前九時までの間(その中間である八時四六分に日脱が図心に及ぶとみられる)も考慮して、約四六分(午前八時から四六分まで)と推認される。

(5) 二階中央居室(E開口部の図心)における日影時間は右(4)同様に約一時間二二分(午前八時から九時二二分―九時三八分と九時〇七分との中間―まで)と推認される。

(6) 二階東側居室(F開口部の図心)における日影時間は午前八時から一〇時までの二時間と午後〇時四五分から約一時三九分(午後一時一八分から午後二時までの中間)までの約五四分の合計二時間五四分と推認される。

(7) なお、乙第三号証添付四枚目図面によれば、ときわ荘による日影がA開口部の図心では午前八時から八時三〇分ころまで、C開口部の図心では午前八時から九時四〇分ころまで、F開口部の図心では午前八時から八時三〇分ころまでそれぞれ生じることが推認される(同図面のNo.2によれば各正時の日影が及ぶ線しか引かれていないので右各線の頂点をそれぞれ結び開口部図心の時刻を推認するよりほかはない)。また、岩井宅による日影はB開口部の図心においては遅くとも午後一時三〇分ころより終日、A開口部の図心では午後二時四五分ころから終日、C開口部の図心では午後三時五〇分ころから終日、D開口部の図心では午後二時三〇分ころから終日、E開口部の図心では午後三時二〇分ころから終日、F開口部の図心では午後三時五〇分ころから終日、それぞれ生じることが推認される(同図面No.1およびNo.9ないし12参照)。

(8) 右(7)の複合日影を考慮してA~F各開口部図心の午前八時から午後四時までの日照時間を算出すると次の通りである。A開口部においては午前八時から一一時まで、午後〇時一七分から二時四三分までは本件建物の日影が((1)参照)、午前八時から八時三〇分ころまではときわ荘の日影が((7)参照)、午後二時四五分から四時までは岩井宅の日影が((7)参照)それぞれ生じることになるから結局A開口部の日照時間は一時間一九分(午前一一時から午後〇時一七分の一時間一七分および午後二時四三分から午後二時四五分の二分の合算したもの)となる。同様に算定すればB開口部では一時間四八分((2)および(7)参照)。C開口部では二時間二五分((3)および(7)参照)、D開口部では五時間四四分((4)および(7)参照)、E開口部では五時間五八分((5)および(7)参照)、F開口部では四時間五六分((6)および(7)参照)の日照時間となる(ちなみに、同様の日照時間を午前九時から午後三時までについてみると、A開口部一時間一九分、B開口部一時間四八分、C開口部一時間五五分、D開口部五時間三〇分、E開口部五時間三八分、F開口部四時間六分となる)。

(四)  右(二)および(三)で認定した通り、原、被告がそれぞれ主張する測定点における日照時間は明らかとなったが、いずれの基準点をもって測定するのが相当だろうか。ことに内田宅地盤面と本件建物地盤面とは高低差があるが、この高さはいかに考えるべきだろうか。まず、地盤面について検討すると、《証拠省略》によれば本件建物地盤面は内田宅地盤面とくらべて従前一〇センチメートルから一五センチメートル低かったが、本件建物の基礎工事をしたため最終的には約三〇センチメートルの段差が生じて内田宅地盤面より低いことが認められる。もっとも、前出乙第五号証中には両地盤面の高低差を一・一メートルと推測させる記載があり(内田宅一階床面は内田宅地盤上五五センチメートル上にあり、本件建物の地盤面は内田宅一階床面より一・六五メートル低い位置にある旨記載されている)、他方前出乙第四号証中には両地盤面の高低差を四五センチメートルないし八〇センチメートルとする記載がある(内田宅地盤面は従前、本件建物地盤面よりも〇~〇・二メートル高かったが、本件建物工事にあたって在来地盤を〇・四五~〇・六メートル掘り下げた旨記載されている)。ところで乙第四、五号証はいずれも本件建物設計者である訴外須田穰の作成にかかるものであるが、右各号証の記載は一致しないうえ、同人は証人として、建物の高さを沈めるために(従前の)本件建物の地盤面より約三〇センチメートル下げた旨証言していることも勘案すれば、乙第四、五号証の地盤高低差に関する記載はいずれも措信しがたい。

次に、《証拠省略》によれば、内田宅一階床面の高さは内田宅地盤面より一五センチメートル高く建築されていることが認められる。そうすると、原・被告がいずれも日照時間の基準点として攻防を尽くした一階各居室中心部分にあたるA~C点(それらの、本件建物地盤面からの高さに争いがあってA1~A3点が設定されていたことは既述のとおりである)は、両土地の地盤面の高低差並びに内田宅建物の床面の高さを考慮すると、本件建物地盤面から四五センチメートル(〇・四五メートル)の高さの地点(かりにこれらの地点を「A4~C4点」という。)で日照時間の測定をするのが相当というべきである。ところで、A4~C4点における正確な日照時間のデータは本件証拠上は必ずしも明らかとはいえないが、前記A1~A3点等は、本件建物地盤面よりもA1点で〇・二メートル、A2点で一・六五メートル、A3点で一・一メートル高い地点であることから、本件建物地盤面よりも〇・四五メートル高い地点であるA4点の日照時間はA1点における日照時間を若干上回る程度のもの(A3点の日照時間には、到底及ばない)と推認される。

次に測定点と日影時間について検討する。まず、建築基準法五六条の二(別表第三日影による中高層の建築物の制限)によると、住居地域においては平均地盤面から四メートルの高さの地点において敷地境界線からの水平距離が五メートルを超え一〇メートル以内では日影時間五時間、敷地境界線からの水平距離が一〇メートルを超える範囲では三時間(いずれも午前八時から午後四時)を超えないことが要求されている。本件土地は住居地域であるが、既述のとおり第一種高度地区に指定されて高度規制をうける結果、建築基準法という行政手続上第一種住居専用地域とほぼ同様の日照が確保されるべきであるところ(これが同時に日照に関する私法上の最小限度の従前からの保護法益と解すべきことは前述した)、測定点、日影時間についても前記別表第三における第一種住居専用地域の制限が当然に参照されるべきである。それによれば、第一種住居専用地域では平均地盤面から一・五メートルの高さの地点において、敷地境界線からの水平距離が五メートルを超え一〇メートル以内では日影時間四時間、敷地境界線からの水平距離が一〇メートルを超える範囲においては二・五時間(いずれも午前八時から午後四時)を超えないことが要求されているところ、既述のとおり内田宅南面は本件建物敷地北側境界線との水平距離が一〇・八メートルあり、ABC各点は内田宅南面からさらに一・五メートルの距離にあるから、ABC各点は先の敷地境界線からの水平距離が一二・三メートルはなれた地点にある。従って建築基準法の制限に従って検討すれば、本件建物の日影時間は本来二・五時間を超えてはならないことになる。ところで、この場合の測定点の高さは、本件事案に即していえば本件建物の敷地の平均地盤面から一・五メートルの高さの地点ということになるから、既述のA2~C2点がこれに近いこととなる(A2~C2点は本件建物の敷地地盤面から一・六五メートルの高さであるから前述した建築基準法の予定した測定点よりも〇・一五メートル高い)。そして前記認定した事実((二)(1)参照)によれば日影時間はA2点五時間〇七分、B2点六時間〇五分、C2点五時間〇四分であることが計算上明らかである。ただし右の算定数値は複合日影も含むものとなっているため本件建物そのものによる日影時間を把握するには必ずしもその数値の正確性は期しがたい。つぎにABC開口部のそれを検討すると、本件建物そのものの日影時間はA開口部(図心)五時間一六分、B開口部(図心)三時間四二分、C開口部(図心)五時間二五分となる((三)(1)参照)。もっとも右開口部の図心の高さは本件建物の地盤面よりも二メートル強高い地点であることが窺われるのでその数値を建築基準法上の制限を超えているかどうかの判断資料に用いることには多少の誤差があるものといえよう(ただし、右乙第三号証によっても、本件建物の内田宅への日影が本件建物敷地地盤面から高さ二メートルよりも低く投影されることはないことが窺われるから、その誤差は日影時間制限二・五時間の判断に影響を及ぼすには至らないものであると思われる)。また後記認定のとおり原告内田の日常生活が概ね一階部分で行なわれることから考えて、その居室の中心点であるA4、B4、C4点の日影時間に近いA1点の日影時間五時間〇一分、B1点四時間二七分、C1点五時間三二分(ただし、いずれも午前九時から午後三時のもの)ということは、その間ほとんど日照がないに等しいものである。右認定によれば、本件建物による内田宅の日照阻害は、他の複合日影との関係を判断するまでもなく、その程度が著しく、原告内田の受忍の限度をこえるものと認めるのが相当である。

(五)  《証拠省略》を総合すれば、本件建物が予定通り三階建で完成すると、内田宅一階(本件建物地盤面から高さ一・六五メートル地点)からの南側への視角は一〇一度四三分、仰角は本件建物の本体部分で三二度五七分、塔屋部分で四三度五二分となるほか、本件建物が東西に長い構造であることから通風にも影響を及ぼす可能性のあることが窺われる。また本件建物の二、三階の北側各部屋の窓はくもりガラスを使用するものの目隠しは設置される計画はなく、また屋上も目隠しがないから、そこから内田宅をのぞくことも可能となりプライバシーを侵される可能性を否定することはできない。

(六)  次に本件建物の設計を一部変更して、本件建物を現在のまま二階建とする場合の内田宅の受ける日照等の被害は既に五(一)(4)で認定したとおりであり大きく改善されることが認められる。

5  加害回避の可能性

被告の従来の建物が老朽化していて千葉市消防局から耐火性建物への改修を勧告されていたこと、ならびに既婚看護婦の定着化をはかるために二DK、バス、トイレ付の宿舎を提供することを理由として本件建物の建築が計画されたことは当事者間に争いがなく、右争いない事実と《証拠省略》を総合すれば次のとおり認められる。すなわち、被告は昭和三六年六月から現在地で産婦人科医院を開業していたが、その建物は昭和三八年に一部増築を加えた木造二階建建物(敷地九五坪)であったため、医院兼居宅としては手狭となり、また建物自体老朽化したことから昭和四五年頃消防署から耐火性建物に改善するよう勧告を受けるに至った。そこで昭和四六年四月頃から新しい建物を建設する計画を企図し、同四八年四月頃、具体的な設計図が完成した。それによれば、新建物は、敷地二五〇坪上に建築することとし、その建物は一階部分に入院室、手術室、調理室を、二、三階部分に従業員の宿舎、家族の居住部分を設け、従来の建物は改造のうえ、分娩室、薬局を残し両方の建物を継続して使用することとした。しかし後記認定のとおり、右新建物の建築と関連し、附近住居との調整の結果、あらためて昭和四八年八月本件建物のように設計変更をして建築確認を受け同年九月中旬頃本件建物の建築に着手したが、右建築にあたっては、近隣の日照被害を防止すべく、当初の設計よりも一・八メートル低くし、また屋上のフエンス部分も低くし、地盤を掘り下げ、建物の位置も最大限南側に寄せて建築した。また、北側窓は見通しのできないガラスを使用して内田宅のプライバシーに対する配慮を施した。建築途中、前記仮処分決定に従い、本件建物は二階部分まで完成されて、三階部分の工事は停止した状態となっている。その後被告は旧建物の増改築を行なった結果、旧建物は一階部分に待合室、診察室、受付、薬局、分娩待機室、分娩室、沐浴室、応接室、病室が、二階部分を家族の居住用に使用しているほか、新旧建物は渡り廊下で接続されている。被告医院は、現在、医師一名(被告本人である。ただし、さらに一人緊急応援医という形で月一回程度千葉大医局の岩沢医師の応援をえている)、正看護婦一名、准看護婦一名、助産婦一名で構成されている。被告としては将来は、現在医学部在学中の娘とともに医院を運営する計画がある。ところで、本件建物の設計図によれば本件建物の一階は手術室、分娩待機室、倉庫、当直室(六畳間、洗面・トイレ付)のほか病室(六畳間、洗面・トイレ付)五室、二階、三階は各室独立した二DK四室計八室(一戸あたり和室六畳二間、八畳大のリビングルーム、バストイレ付)となっているところ、建築が二階でストップした現在、本件建物の実際の利用につき、一階部分は病室六室(当直室は病室と同じ構造になっている)を各個室として使用し、二階は、下門看護婦、久本助産婦、岩沢医師がそれぞれ家族とともに2DK部分に居住し、残る一室は被告の自宅用としている。以上のとおり認められる。右事実によれば被告医院の現在の規模からすれば、近隣の日照を阻害してまでさらに三階部分に二DK四室を建築する必要性は窺い得ない。

7  被害回避の可能性

《証拠省略》によれば、内田宅は一階部分に食堂、台所、居間、寝室、洗面所、二階部分に子供室二室、寝室、納戸、浴室、洗面所があり、現在は定年後の内田夫婦二人が居住している状態であることが認められ、スペースのうえではかなり余裕があるから二階部分を主に利用することにすれば相当日照被害を回避することが可能といえる。しかし、他方前掲証拠によれば、原告内田夫婦は老齢であり(原告内田は明治四二年生、妻は大正七年頃の生まれである)、健康状態も必ずしも良好とはいえない(内田は昭和五四年に心筋梗塞で約一か月半入院し、妻はリューマチの持病がある)から、日常生活はもっぱら一階で過しているのが実状であることが認められ、右の点を考慮すると、日照被害回避は必ずしも容易とはいえないというべきである。

8  交渉経過

被告が原告らを含む付近住民と本件建物の建築に関し交渉したこと、昭和四八年五月三一日以降は千葉市日照問題等調整委員会の調整をうけることとなったこと、しかし結局その調整は成立するには至らなかったことは当事者間に争いがなく、右争いない事実と《証拠省略》を総合すると次のとおり認められる。

被告が昭和四八年四月に三階建建物の確認申請を出したのち、原告らを含む付近住民は、被告建物建設による日照等被害回避に関して被告側(もっぱら本件建物の設計担当者須田穰がその任にあたる)と直接交渉を行なったほか、昭和四八年五月一二日以降千葉市環境調整課長らの指導のもとに交渉を重ねた。さらに同年六月四日以降千葉市日照問題等調整委員会の調整をうけた。この調整の過程で調整員側から建物を二階建としたらどうか、との調整案が提示された。原告らは右調整案を直ちに承諾したが、被告側は一旦はこれを受けいれる意向は示したものの結局は応じられないとしたため、八月六日、右調整は不調に終った。もっとも、被告は原告らとの間の調整委員会による話し合いがはじまってまもない昭和四八年六月一二日頃には、千葉市建築主事が建築確認申請を留保していたのを不服として千葉市建築確認審査会に対して審査請求を申し立てるとともに、千葉市長に対して行政不服審査法に基づく異議申立を行なっていた。その後右審査請求に対しては公開口頭審査会を経て七月二三日確認申請受理の許可がなされた。その後八月九日に被告は前記認定のとおり三階建は維持しつつ、建物の東西の長さを二・五メートル短縮して延面積を二二坪縮少し、屋上に設置を予定していたコンクリート壁を鉄製フェンスに設計変更するなどしてあらためて確認申請をし(これが前記本件建物である)、右申請は九月一三日確認を受けた。なお、原告らと被告との間の交渉の過程で、本件建物による電波障害の点については被告が日本放送協会千葉放送局にテレビ受信調査を依頼し、終局的な解決をみた。以上のとおり認められる。

9  以上認定した事実によると、原告内田が昭和三六年以降享受していた日照利益、本件建物が現在のまま、また計画どおりされたときの日照阻害の程度、本件土地周辺の地域性、高度制限との関連、加害回避の可能性、被害回避の困難性、被告と原告との交渉過程における不誠実な態度等を考慮すれば、被告の建築目的が医院及び看護婦宿舎であり、また建築設計において当初の設計を若干縮少し位置を変えるなど被告の配慮がみられる等被告に有利な事情を十分斟酌しても、なお本件建物が建築確認申請どおり建築されるときには原告内田の蒙るべき右日照阻害等の程度はいわゆる受忍の限度を著しく超えていると認めるのが相当である。

三  ところで、土地の高度利用化の進んでいない住宅地域においては土地家屋に対する日照は土地家屋の所有権の一内容とみるべきであり、土地家屋に対する日照妨害が受忍の限度を著しく超えたときにはその所有権の円満な行使を侵害するものとしてその侵害者に対してその侵害行為の排除または予防を請求することができるものと解すべきである。

原告内田の請求は本件建物の三階部分の建築禁止を求めるものであるから、その請求は理由があるというべきである。

四  原告土屋大幸、同土屋正夫、同松島キヨ(以下単に「原告土屋ら」ということがある。)の生活侵害について

前記一認定の事実並びに《証拠省略》を総合すると次のとおり認められる。

原告土屋大幸は本件土地の北側に位置する大木光蔵所有の木造瓦葺二階建賃貸住宅「ときわ荘」の一階六号室を賃借し、妻とともに居住し、原告土屋正夫、同松島キヨは右ときわ荘二階一六号室を賃借して居住している。右原告らの居住する部屋はときわ荘の西南隅の一階及び二階であり、本件建物が建築されなければ終日良好な日照に恵まれ、通風、採光も良好である。ところが、本件建物が予定通り完成されると、右原告らの居室は冬至において日出から日没まで終日日照が阻害され、原告土屋正夫の場合は春分、秋分の時点においても右状態は改善されない。また、右原告らの居室南側壁面と本件建物との距離は約四メートルで、居室から本件建物が視角一五二度一六分の範囲にわたってそそりたつことになり、原告土屋大幸方からの仰角は本件建物の本体部分で七一度一一分、塔屋部分で七二度四〇分となり強い圧迫感を受けるほか採光にも重大な支障をきたすと考えられる。ところで、右原告らの被害が大きいのはときわ荘自体が南側隣接地境界線に近接しすぎて建築されている(ときわ荘とその南側境界線との距離は最大でも一・四メートルにも及ばず、建築基準法に適合していない建物である)うえ、法の予定する開口部が設置されていないことに起因するものである。また、日照被害の点でいえば、本件建物を現在のままの二階建にしても右原告らの被害が改善されることにはならない。さらに本件建物建築については、ときわ荘所有者は了解を与えている。なお、右原告土屋らはときわ荘の賃借人にすぎないから、本件建物による被害を回避するために他に居住の地を求めることが比較的容易であることは経験則上肯認しうるところである。以上のとおり認められる。右認定事実を総合すれば、原告土屋らの蒙る日照阻害の程度は著しいものではあるが、その被害要因その他の事情を斟酌すると、損害賠償の請求ができるか否かはともかく、家屋賃借人であって、いわゆる差止請求を求めなければならない程に受忍の限度を超えているものと認めることはできないので原告土屋らの請求は理由がない。

五  以上により、原告内田の本訴請求は理由があるのでこれを認容し、原告土屋らの請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 奈良次郎 裁判官 吉田健司 裁判官鈴木経夫は転補につき署名捺印することができない。裁判長裁判官 奈良次郎)

〈以下省略〉

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